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node: stuart_era
type: period
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title: "ステュアート朝"
lead: "ステュアート朝（1603年–1714年）はジェームズ1世からアン女王の死までの時代。内戦、国王の処刑、名誉革命、イングランドとスコットランドの合同を経て、議会の優位が確立した。"
published: 2026-07-11
updated: 2026-07-11
image_file: stuart_era.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Execution_of_Charles_I_of_England.jpg"
image_author: "Formerly attributed to Jan Weesop"
image_license: "Public domain"
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## 概要

1603年、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となり同君連合が成立。1605年の火薬陰謀事件は議会爆破に失敗した。チャールズ1世と議会の対立は1642年に内戦へ発展し、1649年に国王は処刑されて、イングランドはオリバー・クロムウェルの下で共和国となった。

## 主な動き

1660年にチャールズ2世の下で王政が復古。1665年のペスト大流行と1666年のロンドン大火が首都を襲った。ジェームズ2世のカトリック政策は1688年の名誉革命を招き、ウィリアム3世とメアリー2世が1689年の権利章典に拘束されつつ王位に就いた。

## 終わりと移行

1707年の合同法でイングランドとスコットランドはグレートブリテン王国に統合された。1714年、アン女王が子を残さず没し、王位はハノーヴァー家のジョージ1世に渡った。
