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node: siamese_revolution_1932
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slug: siamese_revolution_1932
title: "タイ立憲革命"
lead: "1932年6月24日の夜明け前、人民党（カナ・ラーツァドーン）が無血でバンコクの要所を掌握し、国王プラチャーティポック（ラーマ7世）は憲法制定の要求を受け入れた。この革命はシャムの絶対王政を終わらせた。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: siamese_revolution_1932.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:24_June_Rivet.jpg"
image_author: "Prime"
image_license: "CC BY-SA 3.0"
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## 何が起きたか

1932年6月24日の夜明け前、軍将校と外国留学経験のある文民からなる小集団、人民党（カナ・ラーツァドーン）が、無血でバンコクの要所を掌握した。指導者にはプリーディー・パノムヨンやプレーク・ピブーンソンクラーム（ピブーン）がいた。国王プラチャーティポック（ラーマ7世）はホアヒン滞在中で、憲法制定の要求を受け入れた。6月27日に暫定憲章が、同年12月10日に恒久憲法が公布された。

## 背景

世界恐慌が王室財政を圧迫し、予算削減や俸給の引き下げが行われた。ヨーロッパで学んだ新しい世代が立憲主義の思想を持ち帰り、王族中心の政治への不満が高まっていた、というのが一般的な評価である。

## 影響

この革命は、シャムの絶対王政——約150年に及ぶチャクリー朝の絶対統治と、それ以前から続く数世紀の絶対主義の伝統——を終わらせた。シャムは議会を持つ立憲君主制国家となり、プラチャーティポックは1935年に退位した。12月10日は憲法記念日となっている。人民党の時代はまた、タイ政治における軍の長い中心的役割の始まりでもあった。
