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node: garment_seljuk_dress
type: garment
slug: seljuk_dress
title: "セルジューク朝の装い"
lead: "セルジューク朝の装いは、ペルシアの宮廷装束の上に着たトルコ系の騎乗の衣裳であり、胸前で合わせる長衣、細い袴と長靴、銘のある腕帯、ターバンか毛皮縁の帽子から成る。草原の王朝がイスラム帝国として自らを示した装いであった。"
published: 2026-08-17
updated: 2026-08-17
image_file: seljuk_dress.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Figure_of_a_Courtier_from_a_Palace_Frieze_(DIA_25.64).jpg"
image_author: "Detroit Institute of Arts — painted stucco courtier with inscribed armbands, Seljuk Iran"
image_license: "CC0"
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## 概要

証拠の多くは陶と絵である。ミナーイー手の鉢、ライやカーシャーンの塑像、そして時代直後の写本絵画。そこには身体に巻いて帯を締めたカバーと呼ばれる長衣があり、細い袴を柔らかな長靴に入れている。馬のために裁たれた衣である。その上に、上腕へ巻くティラーズの銘帯が載る。カリフの衣裳とともに来たもので、恩顧を受けた者の印であった。装いの二つの半分が、この王朝の主張の二つの半分でもある。

## 着方と特徴

長衣は地域と時期により左を上にも右を上にも合わせ、金具を並べた帯で留める。袖は長く細く、その上に袖なしの上着を重ねることも多い。袴は細く裁って靴に入れる。そうしなければ袍が乗馬でまくれ上がるからである。頭のものは政治的な選択で、定住民と宗教者は巻いたターバン、軍人はトルコ系の毛皮縁の高い帽子を被る。同じ人物が、絵の目的しだいでどちらにも描かれる。

## 歴史

セルジュークの姿は王朝より長く生きた。アナトリアやジャズィーラの後継者は帯付きの長衣と腕帯を保ち、草原の裁ちとペルシア・アラビアの装飾の結合は、東地中海から中央アジアに至るイスラム宮廷の視覚言語になった。のちのペルシア絵画が「古い」衣裳を描くとき、その典拠はどの時代にも劣らずこの時代である。
