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title: "ラタナコーシン朝"
lead: "ラタナコーシン朝（1782〜1932年）は、ラーマ1世による新都バンコクの建設から1932年の立憲革命までのシャムのバンコク時代である。今日も続くチャクリー王朝の絶対王政期にあたる。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
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## 概要

1782年、ラーマ1世がバンコクに新都を築き、ラタナコーシン島の名にちなむ時代が始まった。なお「ラタナコーシン」の名は1932年以降の王国をも指すが、本ページでは1782〜1932年を扱い、立憲期は別の時代として扱う。

## 主な動き

ラーマ1世はアユタヤをモデルに国家・法・宮廷文化を再建した。王宮（グランドパレス）とワット・プラケオの造営、三印法典の編纂（1805年）、ラーマキエンの完本がその成果であり、治世中にはボードーパヤー王率いるビルマの大侵攻「九軍の戦い」（1785〜86年）を撃退した。

19世紀半ば以降、西洋の圧力が強まると、モンクット（在位1851〜1868年）は交渉による関与を選び、ボーリング条約（1855年）で英国との通商を開いた。この条約は他の列強との条約の雛形となった。チュラーロンコーン（在位1868〜1910年）は国家を変革した。奴隷制と賦役の段階的廃止（1905年完了）、モントン（州制）による中央集権化、近代的省庁の創設（1892年）、学校・鉄道・電信の整備である。一方で、仏領インドシナ（1893・1904・1907年、ラオスとカンボジア西部の領土）と英国（1909年、マレー4州）に領土を割譲して中核部の独立を守り、シャムは東南アジアで唯一植民地化されなかった国であり続けた。

## 終わりと移行

世界恐慌による財政難と、外国で教育を受けた新しいエリート層の台頭は、1932年6月24日の無血革命に行き着いた。プラチャーティポック（ラーマ7世）のもとで絶対王政は終わり、立憲の時代が開かれた。
