---
node: pahlavi
type: period
slug: pahlavi_iran
title: "パフラヴィー朝"
lead: "パフラヴィー朝（1925年〜1979年）は、レザー・シャーとその子モハンマド・レザー・シャーの2代によるイラン統治である。上からの近代化と石油収入、王政独裁が絡み合った体制は、1978年〜1979年の革命で倒れた。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: pahlavi_iran.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Azadi_Tower_at_night_in_low_angle.jpg"
image_author: "بهادر های زاده"
image_license: "CC BY-SA 4.0"
---

## 概要

パフラヴィー朝（1925年〜1979年）は、レザー・シャー（在位1925年〜1941年）とその子モハンマド・レザー・シャー（在位1941年〜1979年）の2代にわたる。レザー・シャーによる鉄道・学校・世俗化・独裁を柱とする強権的近代化は、1941年の英ソ占領で幕を閉じた。1940年代は比較的開かれつつも危機の連続で、占領、1946年のアゼルバイジャン危機、1951年のモサッデグによる石油国有化、そして1953年のクーデターが続いた。

## 主な動き

1953年以降、シャーはアメリカとの提携のもとで王政独裁を再建し、1957年設立の秘密警察サヴァクは、反体制派への監視と拷問（記録に残る）で悪名を馳せた。1963年の白色革命（農地改革・識字部隊・女性参政権）は旧来の諸階層を動揺させる上からの近代化で、同年のホメイニ逮捕をめぐる抗議は武力で鎮圧され、ホメイニは1964年に国外追放された。1970年代の石油ブームは急増する収入と武器購入、そして1971年のペルセポリスでの王制2500年祭（国内で広く批判された豪奢な祭典）をもたらしたが、その後はインフレと期待の挫折が続いた。

## 終わりと移行

1975年のラスターヒーズ党による一党制、腐敗への不満、文化的な疎外感が混じり合い、1978年〜1979年の革命へとつながった。シャーは1979年1月にイランを離れ、王制は同年2月に倒れた。
