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node: garment_pahlavi_hat
type: garment
slug: pahlavi_hat
title: "パフラヴィー帽"
lead: "パフラヴィー帽は一九二八年の服装法でイランの男に義務づけられた庇付きの布帽で、地方や聖職の装いを一つの国民服に置き換えるレザー・シャーの計画の一部であった。七年で、今度はそれ自身が置き換えられる。"
published: 2026-08-17
updated: 2026-08-17
image_file: pahlavi_hat.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Pahlavi_Hat_in_the_1936_Pars_Yearbook.jpg"
image_author: "Pars Yearbook 1936 — the Pahlavi hat as “today”, facing a plate of the headgear it replaced"
image_license: "Public domain"
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## 概要

一九二八年十二月の法は、聖職の免許による除外を受けない男に、西洋式の上着とズボン、そしてこの帽子を求めた。硬く、左右につばがなく、前に庇が出る。フランスのケピに近く、意図してターバンでもフェズでもない。眼目は均一化である。イランの諸州、部族、職、宗教階層はそれぞれ被り物で読み取れていた。国家の狙いは、ひと目で分かる出自を読めなくし、代わりに国籍を読ませることであった。

## 着方と特徴

短い髪の上に真っ直ぐ、庇を前にして被る。礼拝の平伏では留まらない。庇が額を地に着けさせないからで、当時挙がった反対の一つがこれであった。この衝突は偶然ではない。法に伴う除外の制度は、聖職の装いを既定ではなく免許された身分に変えた。帽子は、誰がその免許を持つかを目に見えるかたちで試すものであった。

## 歴史

一九三五年、パフラヴィー帽はつばのあるヨーロッパ式の帽子に置き換えられ、その施行はマシュハドのゴウハルシャード・モスクの抗議と、その武力鎮圧を生んだ。帽子そのものは当時の写真に残る。書記に、兵に、生徒に。そして写真の年代を数年の幅で決めてくれる。十年に満たず存在した衣から服飾史家が得る、実際的な用途である。
