---
node: mongol_invasions_of_japan
type: event
slug: mongol_invasions_of_japan
title: "元寇"
lead: "1274年と1281年、元のクビライ・ハンは日本への侵攻を二度試みたが、いずれも艦隊が暴風で大打撃を受けて失敗した。日本側はこの嵐を「神風」と呼んだ。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
image_file: mongol_invasions_of_japan.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mongol_invasions_of_Japan_1274,_1281.jpg"
image_author: "Qiushufang"
image_license: "CC BY-SA 4.0"
---

## 何が起きたか

1274年（文永の役）、およそ3万〜4万の軍が対馬・壱岐を襲って博多湾に上陸したが、緒戦ののち引き揚げ、嵐で船を失った。1281年（弘安の役）には、伝統的な数え方で合わせて約14万人という、近代以前では最大級の海上作戦となる二つの艦隊が向かった。日本側の沿岸の防塁と抵抗により博多で数週間足止めされた末、艦隊の大部分は台風で壊滅した。

## 背景

クビライ・ハンは元の中国から遠征を発し、艦隊と乗組員には徴発された高麗と中国の船・人員が充てられた。

## 影響

遠征は元に莫大な負担を残した。日本では、十分な恩賞を与えようのない防衛戦が鎌倉幕府を疲弊させ、その後の滅亡の一因となった。「神風」の観念は20世紀の神話にまで谺した。鷹島沖の水中考古学調査では、1281年の艦隊の沈没船や碇が引き揚げられている。
