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node: mongol_invasions_of_dai_viet
type: event
slug: mongol_invasions_of_dai_viet
title: "モンゴルの大越侵攻"
lead: "モンゴル（元）は1258年、1285年、1287〜88年の三度にわたり大越を攻めたが、いずれも撃退された。大越は名目的な朝貢を再開しつつ、独立を保った。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
image_file: mongol_invasions_of_dai_viet.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Battle_of_B%E1%BA%A1ch_%C4%90%E1%BA%B1ng_1288_map_vi.png"
image_author: "Lưu Ly at Vietnamese Wikipedia"
image_license: "CC BY 3.0"
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## 何が起きたか

モンゴルは1258年に大越へ侵攻し、フビライ・ハンの元朝の下で1285年と1287〜88年にも再び侵攻した。後の二度の遠征軍について、史書は数十万規模と記す（史書による数字）。陳朝の朝廷はそのたびに都・昇龍（タンロン）を放棄して焦土戦術を取り、ゲリラ戦と暑熱・疫病で侵攻軍を消耗させてから反攻に転じた。後の侵攻では陳興道（チャン・フン・ダオ）が総指揮を執った。

決着は1288年の白藤江だった。陳興道は938年の呉権の策を再び用い、隠した杭に元の艦隊を突き刺して壊滅させ、その提督ウマル（オー・マー・ニー）を捕虜とした。

## 背景

元は、占城（チャンパ）や南宋の残存勢力に対する遠征路にあたる大越に、通行と服属を求めていた。

## 影響

大越は元への名目的な朝貢を再開する一方で、独立を守った。これらの勝利はベトナムの国民的記憶の礎となっている。
