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node: garment_mamluk_dress
type: garment
slug: mamluk_dress
title: "マムルーク朝の装い"
lead: "マムルーク朝の装いは、支配する軍人身分を支配される者すべてから分けた。襯衣と袴の上の長衣、大きさと形で職を告げる巻きターバン、袖や鞍に置く紋章——エジプトはこの時代、それ以前のどの時代よりも厳しく装いを法で定めた。"
published: 2026-08-17
updated: 2026-08-17
image_file: mamluk_dress.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Maqamat_of_al-Hariri._Enthroned_Prince._Probably_Egypt_1334.jpg"
image_author: "Maqamat of al-Hariri, probably Egypt 1334 — an enthroned prince in turban and robes"
image_license: "Public domain"
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## 概要

衣裳の出自はトルコ系、儀礼はエジプトのものである。アミールは襯衣とゆったりした袴の上に、胸前で合わせる長衣カバーを着け、騎乗には長靴を履いた。その上に載るのがヒルア、名誉の衣で、買うものではなく賜るものであった。位はターバンに現れる。大アミールの巨大なタフフィーファはマムルークで最も見分けやすい品である。もう一つは位階の紋章で、献酌官や打毬長官といった職を色で示し、身に着けるだけでなく所有物のすべてに描かれ彫られた。

## 着方と特徴

長衣は巻いて帯で締め、ターバンは帽子の上に巻いて嵩と張り出しの双方を意図的に作る。遠目の輪郭がその人の地位であった。マムルークでない臣民は逆向きに規制された。度重なる布告がキリスト教徒とユダヤ教徒の着てよい色を定め、騎乗を禁じた。その施行の度合いは、スルタンごとの財政の必要と敬虔の演出しだいで揺れた。カイロで人が着ているものは、身分と信仰と官職を同時に街路へ読ませた。

## 歴史

この体系は国家とともに衰えた。一五一七年のオスマンの征服はマムルークの家々を地方の名士として残し、その装いは位階の体系ではなく地方の衣裳として生き延びた。紋章は、袖の上で意味を失ったのちも建物に残った。マムルークの金工やガラスを集めた美術館の陳列は、事実上一つの服制の目録である。装飾の多くが、その品を注文した人物の位階紋なのだから。
