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node: ly_thuong_kiet
type: person
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title: "リ・トゥオン・キエット（李常傑）"
lead: "リ・トゥオン・キエット（李常傑、1019-1105）は李朝を代表する将軍にして政治家。1075-76年の対宋先制攻撃と、1077年のニュー・グエット（如月）川の防衛戦を指揮し、戦争を交渉による終結へ導いた。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:T%C6%B0%E1%BB%A3ng_L%C3%BD_Th%C6%B0%E1%BB%9Dng_Ki%E1%BB%87t_t%E1%BA%A1i_B%E1%BA%A3o_t%C3%A0ng_l%E1%BB%8Bch_s%E1%BB%AD_qu%C3%A2n_s%E1%BB%B1_Vi%E1%BB%87t_Nam,_H%C3%A0_N%E1%BB%99i_n%C4%83m_2017_(1).jpg"
image_author: "Phương Huy"
image_license: "CC BY-SA 4.0"
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## 人物

リ・トゥオン・キエット（1019-1105）は李朝を代表する将軍にして政治家である。宮廷の宦官の身から軍の最高指揮官にまで昇りつめた。三代の皇帝に仕え、1105年に86歳で没した。

## 何をしたか

宋の侵攻が迫るなか、彼は1075-76年に先制攻撃をかけ、邕州を含む国境の州を攻略したのち撤収した。1077年、宋軍の反攻をニュー・グエット（カウ）川の防衛線で迎え撃ち、侵攻はそこで停滞して交渉により終結した。四句の漢詩「南国山河」——「南国の山河には南帝が住まう」——は、この川で兵士を鼓舞するため詠み上げられたと伝えられる（伝承）。学術的には作者不詳とされ、これを「最初の独立宣言」とする位置づけも後世の伝統である。彼はチャンパへの遠征も指揮した。

## 後世への影響

彼はベトナム軍事史における「積極防御」の手本とされる。ベトナム各地の通りに彼の名が付けられている。
