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node: le_dynasty
type: period
slug: later_le_dynasty
title: "後黎朝"
lead: "後黎朝（1428〜1789年）は、ラムソン蜂起で明を撃退したレ・ロイ（黎利）が建てた王朝である。聖宗期に最盛期を迎えたが、16世紀以降は名目上の統治にとどまった。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Statue_of_a_tiger,_L%C3%AA_L%E1%BB%A3i_mausoleum,_Thanh_H%C3%B3a_Province_(1433),_Vietnam_National_Museum_of_Fine_Arts,_Hanoi,_Vietnam_-_20131030.JPG"
image_author: "Unknown author."
image_license: "CC BY-SA 3.0"
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## 概要

1428年、ラムソン蜂起で明を駆逐したレ・ロイが王朝を開いた。最盛期は聖宗レ・タイン・トンの治世（1460〜1497年）で、洪徳法典の制定、儒教的な科挙国家の完成、そして南方への拡大が進んだ。1471年の遠征はチャンパの勢力を決定的に打ち砕いた。

## 主な動き

16世紀以降、王朝の統治は名目だけのものとなった。1527年に莫（マク）氏が帝位を簒奪し、その後は北の鄭（チン）氏と南の阮（グエン）氏が国を分け合い（17〜18世紀）、黎帝は象徴的存在にとどまった。

## 終わりと移行

1770年代に始まる西山（タイソン）三兄弟の反乱が両勢力を一掃した。西山朝の皇帝クアン・チュン（光中帝）は1789年のテト（旧正月）、ゴックホイ＝ドンダーの戦いで清の介入軍を撃破した。同年、最後の黎帝は中国へ逃れた。
