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node: islamic_republic
type: period
slug: islamic_republic_of_iran
title: "イラン・イスラム共和国"
lead: "イラン・イスラム共和国（1979年〜現在）は、1979年の革命によって生まれた神権共和制の国家である。その歴史は、戦争、改革派と強硬派の間の振り子、核開発をめぐる対立と制裁、そして繰り返される大規模抗議に貫かれている。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: islamic_republic_of_iran.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2006-11-15_Tehran.jpg"
image_author: "Hansueli Krapf"
image_license: "CC BY-SA 3.0"
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## 概要

この体制は、選挙で選ばれる機構と聖職者の権威を組み合わせている。公選の大統領と議会は、非公選の最高指導者と聖職者による審査機関の下に置かれる。1979年に革命がパフラヴィー王制を倒した後に成立したこの混合体制が、建国から現在までのイラン政治の枠組みを規定してきた。

## 主な動き

建国の10年は人質危機（1979〜81年）とイラン・イラク戦争（1980〜88年）に覆われ、あわせて革命後の粛清と1988年の政治犯処刑が行われ、後者は人権団体が数千人規模と推計して記録している。1989年にホメイニが死去してハメネイが最高指導者を継ぎ、同年の憲法改正で大統領権限が強化され、首相職は廃止された。実務派ラフサンジャーニー（1989〜97年）の復興期に続き、改革派ハータミー（1997〜2005年）が市民社会の開放を進めたが、保守派の巻き返しに遭った。ポピュリストのアフマディーネジャード（2005〜13年）の時代には、2009年の再選への異議から緑の運動の抗議が起こり、死者と大量逮捕を伴って鎮圧された（数字の推計には幅がある）。中道派ロウハーニー（2013〜21年）は2015年に核合意（JCPOA）を結んだが2018年に米国が離脱して制裁が再開され、強硬派ライーシー（2021〜24年）は2024年にヘリコプター墜落事故で死亡し、ペゼシュキアーン（2024年〜）が後を継いだ。

## 終わりと移行

この時代は現在も続いており、核開発をめぐる対立と制裁の循環、そしてシリア・イラク・レバノン・イエメンに関与する同盟民兵の地域ネットワークが恒常的な特徴である。大規模抗議は繰り返され、1999年7月（テヘラン大学寮への襲撃を発端とする学生抗議）、2009年、2017〜18年、2019年（燃料値上げへの抗議で、人権団体によれば数百人が殺害された）、さらに2022〜23年にはマフサ・アミニが風紀警察の拘束下で死亡した後に抗議が広がり、いずれも致死的な弾圧を受けたことを人権団体が記録している。社会は高い都市化と教育水準（大学では女性が多数を占める）を示す一方、女性と異論への法的制約が続き、国外には大規模なディアスポラが存在する。この時代全体の評価は、イラン内外で今も深く対立している。
