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type: period
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title: "イルハン朝"
lead: "イルハン朝（1256年〜1353年）は、チンギス・カンの孫フレグがイラン・イラクなどに建てたモンゴル帝国の分国である。1258年のバグダード劫略で500年のアッバース朝カリフ制を終わらせ、イスラームへの改宗後はペルシア文化の輝かしい一時代を担った。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: ilkhanate.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Amingholamali_Soltaniyeh_Landscap_Zanjan.JPG"
image_author: "Amingholamali"
image_license: "CC BY-SA 3.0"
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## 概要

チンギス・カンによるホラズム・シャー朝への侵攻（1219年〜1221年）は、メルヴ、ニーシャープール、ヘラートといったイラン東部の諸都市を荒廃させ、その虐殺は黙示録さながらの惨禍として記憶された。ただし史料の伝える数字は信頼できない。数十年に及ぶモンゴル人総督の統治ののち、1256年、チンギス・カンの孫フレグが、イラン、イラク、カフカス、アナトリア東部を覆うイルハン朝を建てた。モンゴル帝国に従属する分国である。

## 主な動き

1258年、フレグはバグダードを劫略して最後のアッバース朝カリフを殺し、500年続いたカリフ制を終わらせた。その西進は1260年、アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝に阻まれた。宮廷は当初、仏教・キリスト教・シャーマニズムの影響が交錯する宗教的に雑多な場だったが、1295年にガザン・ハンがイスラームへ改宗して国家はムスリムのものとなり、彼は宰相ラシード・アッディーンとともに税制を改革し、学問を保護した。ラシード・アッディーンの『集史』は、最初の世界史としばしば呼ばれる。ペルシア細密画と歴史叙述、そしてナスィール・アッディーン・トゥースィーのマラーガ天文台に代表される天文学が花開き、モンゴルの交易路を通じた元代中国との濃密な交流は、中国風の意匠をペルシア美術にもたらした。

## 終わりと移行

最後の有力なイルハンが1335年に没すると、国家はジャライル朝やムザッファル朝などの地方王朝へと解体し、1353年までに消滅した。この空白を埋めることになるのがティムールである。
