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node: garment_hitatare
type: garment
slug: hitatare
title: "直垂"
lead: "直垂は、帯ではなく紐で留める上衣と袴の揃いの二部式であり、庶民の衣から身を起こして鎌倉時代の武士の常の装いとなった。上下を同じ布で仕立てること、その揃いこそが直垂を直垂たらしめる。"
published: 2026-08-18
updated: 2026-08-18
image_file: hitatare.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hitatare_chakuy%C5%8D.jpg"
image_author: "National Diet Library — annotated plate of the hitatare from a costume manual"
image_license: "Public domain"
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## 概要

それ以前の数世紀の朝服は、立ち止まった姿を見せるように作られていた。広い袖、引きずる丈、位によって色を定めた重ねである。直垂はその逆である。動きながら着る人々の作業着として始まり、十二世紀に権を握った武士の階層は、押しのけた朝服ではなくこちらを採った。上衣は直線裁ちで、胸の一対の紐で合わせる。その下の袴は腰で寄せた幅広の袴である。引っかかっては困るところに、ゆるみはない。

## 着方と特徴

上衣は上着のように羽織り、前の二枚を胸紐で結び、その裾を袴の腰の内に入れて、全体をひと続きの衣として見せる。特徴が出るのは袖口である。袖口には紐が通してあり、これを引き締める。手首に下がる小さな露がその端である。弓の弦が袖に掛からないよう、袖を絞ってあるのである。腰には小刀と扇を差し、烏帽子をかぶって装いは整う。鎧の下に着るときは同じ衣をより細く仕立て、鎧直垂と呼ぶ。

## 歴史

直垂はなお昇り続けた。庶民の衣として入ったものが鎌倉武士の日常着となり、やがて礼装となり、室町時代には一族の衣へと分かれてゆく。麻の無地の素襖、大きな紋を付けた大紋、袖のない肩衣。それぞれが異なる身分と場に結びつけられた。江戸時代には直垂そのものは儀礼専用となり、幕府の最上層だけが着るものとなった。本頁の図は、そうしたものを正しく着る作法を記録するために編まれた装束の書から採られている。
