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node: great_kanto_earthquake
type: event
slug: great_kanto_earthquake
title: "関東大震災"
lead: "1923年9月1日11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の地震が関東平野を襲った。死者・行方不明者は約10万5000人にのぼり、その多くは火災によるものだった。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-08-27
change: "冒頭の本文節を書き改め、ページ自身のリード文の繰り返しをやめた。"
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reason: "当該の節はリード文をそのまま繰り返しており、最初の見出しの下に置かれた最初の文章が、読者が検索結果ですでに読んだ文面になっていたため。"
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kanto-daishinsai.jpg"
image_author: "Unknown"
image_license: "Public domain"
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## 何が起きたか

東京と横浜を壊滅させたのは揺れよりも火災であった。東京の市街地はほぼ半分が焼け、大勢が家財を抱えて集まっていた本所の旧陸軍被服廠跡の空き地では、火災旋風によって一か所で約3万8000人が亡くなっている。震源により近い横浜は、建物の被害率では東京を上回った。地震は両市から出る電信線を断ち切ったため、何が起きたのかを日本中はまず報道ではなく流言によって知ることになった。

流言が広がるなか、群衆により、また一部では官憲により、数千人の朝鮮人が殺害された。中国人や、朝鮮人と誤認された日本人も犠牲になった。

## 背景

地震は昼食時に発生し、各所で使われていた炊事の火が、台風の縁がもたらした強風にあおられて燃え広がった。

## 影響

戒厳令が敷かれ、後藤新平が主導した大規模な復興計画が東京の姿をつくり変えた。この災害は日本の近代的な防災の出発点となり（9月1日は防災の日）、災害がマイノリティへの暴力を引き起こしうることを示す教訓として、今も記憶されている。

**このページの訂正：**冒頭の本文節を書き改め、ページ自身のリード文の繰り返しをやめた。

**理由：**当該の節はリード文をそのまま繰り返しており、最初の見出しの下に置かれた最初の文章が、読者が検索結果ですでに読んだ文面になっていたため。

**求めた者：**メディア部門自身。
