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node: glorious_revolution
type: event
slug: glorious_revolution
title: "名誉革命"
lead: "1688年、オランダ総督ウィレム（オレンジ公）が有力者たちの招請を受けてイングランドに上陸し、ジェームズ2世は亡命した。1689年、ウィリアム3世とメアリー2世は権利章典に拘束される形で王位に就き、革命は王権に対する議会の優位を確定させた。"
published: 2026-07-11
updated: 2026-07-11
image_file: glorious_revolution.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Joseph_Mallord_William_Turner_(1775-1851)_-_The_Prince_of_Orange,_William_III,_Embarked_from_Holland,_and_Landed_at_Torbay,_November_4th,_1688,_after_a_Stormy_Passage_-_N00369_-_National_Gallery.jpg"
image_author: "J. M. W. Turner"
image_license: "Public domain"
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## 何が起きたか

ウィレムは1688年11月5日、オランダ軍を率いてトーベイに上陸した。ジェームズ2世の軍は瓦解し、王はフランスへ逃れた。仮議会は王位の空位を宣言し、1689年の権利章典の条件の下でウィリアムとメアリーに共同王位を提供した。国王による法の停止の禁止、議会の同意なき課税と常備軍の禁止、自由選挙と議会の定期開催がその内容である。

## 背景

ジェームズ2世の公然たるカトリック信仰、官職の入れ替え、そして1688年6月のカトリックの世継ぎ誕生が、ホイッグとトーリーの有力者7人（「不滅の7人」）を、メアリーの夫でルイ14世に対抗するプロテスタントの旗手ウィレムへの招請で一致させた。

## 影響

イングランドでの政権移行はほぼ無血だったが、スコットランドとアイルランドでは戦争となり、1690年のボイン川の戦いの勝利がアイルランドにおけるプロテスタント支配を固めた。寛容法と1701年の王位継承法を含むこの体制は、イングランドを議会君主制の国とし、対仏ヨーロッパ戦争へと引き込んだ。
