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node: fall_of_western_roman_empire
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title: "西ローマ帝国の滅亡"
lead: "紀元476年、ゲルマン人の将軍オドアケルが最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位し、この年が慣例的に西ローマ帝国の終焉とされる。"
published: 2026-07-11
updated: 2026-08-27
change: "冒頭の本文節を書き改め、ページ自身のリード文の繰り返しをやめた。"
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reason: "当該の節はリード文をそのまま繰り返しており、最初の見出しの下に置かれた最初の文章が、読者が検索結果ですでに読んだ文面になっていたため。"
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gold_Solidus_of_Romulus_Augustulus.jpg"
image_author: "ANS"
image_license: "CC0"
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## 何が起きたか

オドアケルはローマに仕えるゲルマン系部隊の指揮官であり、事の起こりは、その兵たちへのイタリア国内での土地の配分をローマが拒んだことにあった。彼は少年皇帝の父オレステスをパヴィアで破って殺し、9月4日にラヴェンナを占領した。そのうえで皇帝の標章をコンスタンティノープルへ送り、東の皇帝に代わってイタリアを統治するパトリキウスとして認められることだけを求めた。当時その場にいた誰も、帝国が終わったとは考えていない。4年前にオレステスが追い出した皇帝ユリウス・ネポスはなおダルマティアに生きており、480年に暗殺されるまで東側では皇帝と認められ続けた。この年が終焉となったのは後世、歴史家が区切りを必要としたときのことである。

## 背景

西方は長らく衰退していた。東方との分裂（395年）、蛮族の侵入と定住、410年（西ゴート）と455年（ヴァンダル）のローマ略奪、税収の縮小、そして傀儡皇帝の続出である。オドアケルは東方の名目上の権威のもとでイタリアの王を称した。

## 影響

西方におけるローマの政治的支配は終わり、ゲルマン諸王国に取って代わられたが、東方の（ビザンツ）帝国はさらに千年続いた。歴史家は、ローマの制度や文化が存続したことから、476年を突然の断絶ではなく象徴的な画期として扱っている。
