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node: fall_of_ayutthaya
type: event
slug: fall_of_ayutthaya
title: "アユタヤ陥落"
lead: "1767年4月7日、約14か月の包囲の末にコンバウン朝ビルマ軍がアユタヤを攻略して焼き払い、416年続いた王国は終わりを迎えた。宮殿・寺院・記録文書の喪失は、今日に至るまでタイの歴史叙述に影を落としている。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: fall_of_ayutthaya.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wat_Chai_Watthanaram_(69425947).jpeg"
image_author: "Guillaume Buret"
image_license: "CC BY 3.0"
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## 何が起きたか

約14か月に及ぶ包囲の末、コンバウン朝のビルマ軍は1767年4月7日に都を攻略した。アユタヤは焼き払われ、宮殿・寺院・文書庫とシャムの文字記録の多くが失われた。王族を含む数万人がビルマへ連行された。国王エーカタットは都の陥落とともに死去したが、その状況については記録によって異同がある。

## 背景

侵攻はコンバウン朝の勢力拡大の一環だった。1760年の最初の侵攻は中断されたが、1765年、シンビューシン王は二方面からの侵攻を開始し、両軍は都へと迫った。一般的な評価では、アユタヤ宮廷の派閥抗争が防衛を弱めたとされる。

## 影響

416年続いた王国は滅び、シャムは一時、各地の勢力集団に分裂した。ビルマ軍はまもなく、清のビルマ侵攻（1765〜69年）に対処するため大半の兵力を引き揚げ、これがタークシンによるトンブリーからの再統一を容易にした。記録の喪失は今もタイの歴史学を規定し、政治の中心はトンブリー、次いでバンコクへと、川下へ恒久的に移った。
