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node: elam
type: period
slug: elam
title: "エラム"
lead: "エラム（前2700年頃〜前539年）はイラン高原に現れた最古の文明で、南西部のスサとアンシャンを中心に栄えた。メソポタミアと対抗と交流を重ね、最終的にアケメネス朝に吸収されたが、エラム語は帝国の行政言語として残った。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: elam.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chogha_Zanbil_20190327_01.jpg"
image_author: "Fars Media Corporation"
image_license: "CC BY 4.0"
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## 概要

エラムは前2700年頃〜前539年、イラン高原最古の文明として、現在のフーゼスターンとファールスにあたる南西部のスサとアンシャンを中心に展開した。文字記録は前3100年頃の原エラム文字の粘土板に始まるが、この文字は今も解読されていない。のちのエラム語は楔形文字で書かれた。

## 主な動き

エラムはメソポタミアと長い対抗と交流の歴史を持ち、前2004年頃にはエラム軍がウルを陥落させた。前12世紀には王シュトルク・ナフンテが、ハンムラビ法典の石碑をはじめとするメソポタミアの戦利品をスサに持ち去り、この石碑は1901年にフランスの発掘隊によって同地で発見された。前13世紀に王ウンタシュ・ナピリシャが築いたチョガ・ザンビールのジッグラトは、現存するジッグラトの中でも最も保存状態の良いもののひとつである。

## 終わりと移行

新エラム時代はメディアとペルシアの台頭とともに終わり、スサは前646年頃にアッシリアに略奪された。エラムはアケメネス朝に吸収され、キュロスの台頭に伴う前539年が慣例的にその終点とされるが、エラム語はその後も帝国の行政言語として使われ続けた。エラムの行政の伝統と都市スサは、そのままペルシアの諸帝国に受け継がれた。
