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node: donghak_rebellion
type: event
slug: donghak_peasant_rebellion
title: "東学農民運動"
lead: "1894年、全琫準に率いられた東学の信徒と農民が、腐敗した官吏と外国の侵出に対して蜂起した。蜂起は清と日本の出兵を招き、日清戦争の引き金となった。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
image_file: donghak_peasant_rebellion.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chunbongjun01.jpg"
image_author: "Unknown author"
image_license: "Public domain"
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## 何が起きたか

1894年初め、朝鮮固有の宗教である東学（「東方の学」）の信徒と困窮した農民が、全羅道で全琫準のもとに蜂起した。全琫準は「緑豆将軍」の異名で語り継がれる。農民軍は政府軍を破って1894年5月に全州を占領し、休戦（全州和約）によって各地に改革のための機関が置かれた。しかし朝廷はすでに清に出兵を要請しており、日本も求められないまま出兵し、両国の朝鮮での衝突は日清戦争となった。農民軍は同年秋、日本の干渉に抗して再び蜂起したが、1894年11月、近代兵器を備えた日本軍と政府軍に牛禁峙で壊滅させられた。全琫準は捕らえられ、1895年に処刑された。

## 背景

腐敗した地方官、苛烈な税、深まる外国の侵出が、農村を限界に追い込んでいた。

## 影響

蜂起は甲午改革と、朝鮮をめぐって戦われた戦争を引き起こし、韓国の民主化運動が今も想起する民衆抗争の系譜を残した。
