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node: darius_i
type: person
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title: "ダレイオス1世"
lead: "ダレイオス1世（前550年頃〜前486年、在位前522年〜前486年）はアケメネス朝を組織した大王で、貢納を定めた州制、ダレイコス金貨、王の道を整え、帝国を最大版図に導いた。アテナイへの遠征は前490年のマラトンの戦いに敗れた。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: darius_i.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Large_stone_relief_depicting_Darius_I,_seated_on_his_throne,_being_approached_by_a_high_dignitary_whose_hand_is_raised_to_his_mouth_in_a_gesture_of_respectful_greeting,_Persepolis,_Iran_(47890487391).jpg"
image_author: "Carole Raddato from Frankfurt, Germany"
image_license: "CC BY-SA 2.0"
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## 人物

ダレイオスはカンビュセス2世の死後の混乱の中で王位につき、帝国各地の反乱を打ち破った。その経緯を自ら語る記録は、ベヒストゥンの岩壁高くに浮き彫りとともに古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語の3言語で刻まれ、19世紀に学者が楔形文字を解読する鍵ともなった。

## 何をしたか

ダレイオスは偉大な組織者で、帝国を貢納額を定めた州（サトラップ領）に分け、度量衡と金貨ダレイコスを標準化し、王の道を建設し、碑文によればナイル川と紅海を結ぶ運河も完成させた。前518年頃には儀礼の都ペルセポリスの造営を始めた。版図はインダス川からヨーロッパへと広がり、トラキアを獲得しマケドニアを服属させて帝国最大となったが、ドナウ川を越えたスキタイ遠征は成果に乏しかった。イオニアのギリシア人の反乱（前499年〜前493年）ののち、アテナイへの懲罰遠征は前490年のマラトンの戦いに敗れた。帝国にとっては限定的な敗北にとどまったが、ギリシアにとっては国の礎ともいうべき記憶となった。

## 後世への影響

前486年、ダレイオスは新たなギリシア遠征を準備するさなかに没し、息子のクセルクセス1世が跡を継いだ。その亡骸は、ナクシェ・ロスタムの岩窟墓に葬られた。
