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node: british_empire
type: organization
slug: british_empire
title: "大英帝国"
lead: "大英帝国は、イギリスが1600年頃から築き上げ、主に1947年から1997年にかけて手放した海外帝国である。1918年以降の最盛期には史上最大の帝国となり、世界の陸地と人口のおよそ4分の1を覆った。"
published: 2026-07-11
updated: 2026-07-11
image_file: british_empire.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Imperial_Federation,_Map_of_the_World_Showing_the_Extent_of_the_British_Empire_in_1886.jpg"
image_author: "Walter Crane"
image_license: "Public domain"
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## 概要

帝国はまず大西洋の貿易と入植、次いで東インド会社によるインド支配、19世紀のアフリカ・太平洋への拡張の上に築かれ、植民地・保護領・自治領の寄せ集めとして統治された。それを支えたのは海軍力と貿易であり、廃止までは大西洋奴隷貿易も含まれた。歴史家の推計では、イギリス船はおよそ300万人のアフリカ人奴隷を運んだ。イギリスは1807年に奴隷貿易を、1833年に帝国の大部分で奴隷制を違法としたが、補償を受けたのは奴隷ではなく所有者だった。

## 役割

その歴史的評価は深く争われている。帝国支配は鉄道、コモン・ロー、英語をもたらしたが、征服と強制労働も伴った。イギリス統治下の飢饉——アイルランド大飢饉（1845年–1852年、死者約100万人）とインドで繰り返された飢饉、とりわけ1943年のベンガル飢饉（推計死者200万–300万人前後）——は、多くの歴史家によりかなりの部分が政策の失敗に帰せられている。植民地における暴力には、1919年のアムリットサル虐殺（公式発表で死者379人、インド側推計はより多い）や1950年代ケニアのマウマウ団反乱の鎮圧が含まれる。

## その後

二つの世界大戦は帝国の中心を疲弊させた。1947年にインドとパキスタンが独立し、その分離独立に伴う暴力の死者は数十万人から約100万人と推計される。1950年代末からアフリカ植民地が続き、1997年の香港返還が慣例上の終点とされる。イギリス連邦、英米法、そして今も争われる帝国の記憶がその主要な遺産である。
