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type: event
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title: "義和団事件"
lead: "華北で起きた排外・反キリスト教の民衆運動は、1900年、清朝と8か国の列強との戦争へと発展した。1901年の北京議定書は、清に巨額の賠償金と外国軍の駐留を課した。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Boxer_rebellion_SLNSW_457281.jpg"
image_author: "Unknown author"
image_license: "Public domain"
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## 何が起きたか

義和団は中国人キリスト教徒や外国人を襲撃した。1900年6月、西太后の下の清朝宮廷は義和団を支持し、列強に宣戦した。義和団と清軍は北京の公使館区域を55日間包囲し、ドイツ公使ケッテラーが殺害された。8か国連合軍（日本・ロシア・イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・イタリア・オーストリア＝ハンガリー）は1900年8月に北京を占領し、宮廷は西安へ逃れ、その後は略奪と懲罰的な討伐が続いた。

## 背景

「義和団」は、武術と神懸かりの儀礼を、外国人とキリスト教への怒りと結びつけた華北の運動で、その怒りは干ばつと、宣教師の特権への反感によって増幅されていた。

## 影響

北京議定書（1901年9月）は、39年賦で4億5000万両の賠償金、外国軍の駐留、責任官僚の処罰、砲台の破壊を課した。王朝の威信は流出し、宮廷でさえ改革へと転じた。賠償金の一部は後に教育のために返還され、これが清華の起源となった。
