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node: battle_of_sekigahara
type: event
slug: battle_of_sekigahara
title: "関ヶ原の戦い"
lead: "1600年10月21日、徳川家康の東軍が石田三成の組織した西軍連合を関ヶ原で破った。一日で決した戦いが、徳川の覇権への道を開いた。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
image_file: battle_of_sekigahara.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sekigahara_Kassen_By%C5%8Dbu-zu_(Gifu_History_Museum).jpg"
image_author: "Collection of The City of Gifu Museum of History"
image_license: "Public domain"
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## 何が起きたか

武士の時代最大の野戦である。総兵力はおよそ15万以上とも言われ、美濃（現在の岐阜県）の関ヶ原で、徳川家康の東軍と、石田三成が豊臣家のためとして組織した西軍連合が対峙した。

戦いは一日のうちに決した。決定打は小早川秀秋の徳川方への寝返りである。三成ら西軍の指導者は処刑され、家康は味方に報い敵を弱めるため、大規模な領地の再配分を行った。

## 背景

1598年に豊臣秀吉が死去し、権力の空白が生じていた。関ヶ原の対決は、その空白の中で起きた。

## 影響

徳川の覇権が確立した。家康は1603年に将軍となり、豊臣家は1614〜15年に大坂で滅ぼされた。
