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node: ayutthaya
type: period
slug: ayutthaya_kingdom
title: "アユタヤ朝"
lead: "アユタヤ朝（1351〜1767年）は、チャオプラヤー川・ロッブリー川・パーサック川の合流点の島に都を置き、4世紀余りにわたってシャムの支配的勢力であり続けた王朝である。アジア有数の交易都市として栄えたのち、1767年にビルマ軍によって滅ぼされた。"
published: 2026-07-10
updated: 2026-07-10
image_file: ayutthaya_kingdom.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ayutthaya_Thailand_2004.jpg"
image_author: "Evilarry"
image_license: "Public domain"
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## 概要

年代記の伝える年代では1351年、ウートーンが都を築き、ラーマーティボディー1世として即位した。アユタヤは川中の島の都から発展し、4世紀以上にわたってシャムを支配する国家となった。アジア有数の交易都市に成長し、1700年頃には世界最大級の都市の一つに数えられ、人口100万人近くとする推計もしばしば引かれる（推計）。

## 主な動き

1438年にスコータイを併合し、1431年（通説の年代）にはアンコールを攻略した。最大の宿敵はビルマであり、1569年にバインナウンの軍に都を落とされて属国となったが、ナレースワンが1584年に独立を宣言し、1593年の象上一騎打ちの勝利で独立を確かなものにした。17世紀には国際色豊かな黄金期を迎え、中国人、日本人（世紀前半に山田長政が率いた日本人町）、ペルシア人、ポルトガル人、オランダ人、フランス人の共同体が栄えた。その頂点はナーラーイ王（在位1656〜1688年）の時代で、ルイ14世のフランスと使節を交換した。ナーラーイの死後、1688年の政変でフランス守備隊は追放され、西洋との関係は縮小したが、アジアとの交易は続いた。

## 終わりと移行

コンバウン朝ビルマの侵攻が1760年に始まり、1765〜67年に再開された。1767年4月7日に都は陥落して焼き払われ、寺院・宮殿・記録が失われた。権力は分裂したが、やがてタークシンがトンブリーからシャムを再統一した。遺跡はアユタヤ歴史公園として1991年にユネスコ世界遺産に登録された。
