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node: garment_asuka_dress
type: garment
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title: "飛鳥時代の衣服"
lead: "飛鳥時代の衣服は、古墳時代の二部式が朝服として整えられたものである。女は腰丈の上衣に襞をとった裳、男は上衣に袴を着け、その上に、色によって位を示す絹の冠の制が置かれた。"
published: 2026-08-16
updated: 2026-08-16
image_file: asuka_dress.jpg
image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Takamat1.jpg"
image_author: "Takamatsuzuka Tomb murals — women in hip-length jackets over pleated striped skirts, west wall"
image_license: "Public domain"
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## 概要

衣そのものの仕立ては大陸風で、隋唐の中国から朝鮮諸国を経て伝わったものであり、朝廷は同じ流れで入ってきた文字や律令、仏教とともにこれを受け入れた。もっとも大きな変化は衣ではなく考え方にある。装いは定められるべきものだ、という考えである。六〇三年の冠位十二階は、官人の位ごとに定まった色の絹の冠を与えた。人の位が、部屋の向こうからでも読めるようになったのである。それまで位は家の富があらわすものであった。以後は朝廷が許すものがあらわすことになった。

## 着方と特徴

上衣は前で打ち合わせ、腰丈で終わり、細い帯で押さえる。その下の裳は腰に巻いて結び、縦に襞をとり、後ろに引くほど長い。領巾が肩から両腕にかけて垂れる。男は揃いの上衣にゆったりした袴を穿いて足首で括り、朝廷ではその上に、位を示す絹の冠をかぶった。時代の末に描かれた高松塚古墳の西壁には、まさにその姿の女性の一群が、赤・緑・白の縞の裳をつけて並ぶ。年代を語るのは襞である。それは在来のものではなく、七世紀の朝鮮・中国の装いであった。

## 歴史

飛鳥の装いは発明されたのではなく定められたものであり、定める作業はその後も続いた。奈良の朝廷は十二階の冠に代えて、礼服・朝服・制服と装いを段階づけるより詳細な衣服令を敷き、ゆるやかな大陸風の仕立ては、八世紀の広い袖と高い腰へと移っていく。飛鳥から残ったのは、何を着てよいかを決めるのは着る者ではなく朝廷である、という原則であった。
