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node: an_lushan_rebellion
type: event
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title: "安史の乱"
lead: "755年12月、辺境の節度使・安禄山が唐に反旗を翻し、洛陽と都・長安を占領した。反乱の平定は763年までかかり、唐の中央権力は二度と完全には回復しなかった。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
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## 何が起きたか

安禄山は755年12月に范陽で挙兵し、洛陽、次いで長安を陥れた。玄宗は四川方面へ逃れ、馬嵬では兵士たちが寵妃・楊貴妃の死を迫った。反乱は安禄山の後継者たちと史思明に引き継がれ（「安史」の名の由来）、ウイグルの援助を得て763年までに鎮圧された。

## 背景

安禄山はソグド・テュルク系の出自の節度使で、東北辺境の大軍を掌握していた。

## 影響

人命の損失は甚大で、行政の崩壊は戸籍記録にも表れた。唐の中央権力は完全には回復せず、節度使の支配する地方は半独立化し、財政制度も転換して780年に両税法が施行された。
