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node: ako_incident
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title: "赤穂事件（忠臣蔵）"
lead: "1702〜03年の冬、大石内蔵助率いる赤穂浪士47人が吉良義央の屋敷に討ち入り、主君・浅野長矩の仇を討った後に自首し、幕府の命により切腹した。この事件は「忠臣蔵」として語り継がれ、忠義と法の相克をめぐる日本を代表する物語となった。"
published: 2026-07-09
updated: 2026-07-09
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image_source: "https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5_%E5%8D%81%E4%B8%80%E6%AE%B5%E7%9B%AE_%E5%A4%9C%E6%89%93_%E6%8A%BC%E5%AF%84-The_Loyal_Ronin_Crossing_the_Long_Bridge_to_Embark_for_the_Night_Attack_upon_Moronao_MET_DP123556.jpg"
image_author: "Utagawa Hiroshige"
image_license: "CC0"
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## 何が起きたか

1702〜03年の冬、大石内蔵助に率いられた浅野家の旧家臣（浪士）47人が吉良義央の屋敷に討ち入り、吉良を討ち取ったうえで自首した。幕府は重い議論の末に浪士たちへ切腹を命じ、1703年初めに執行された。浪士たちは主君のそばの泉岳寺に葬られ、その墓は今も訪れる人が絶えない。

## 背景

1701年、赤穂藩主・浅野長矩が江戸城内で、幕府の儀礼指南役・吉良義央に刀で斬りかかった。城内での刃傷は大罪であり、浅野は即日切腹を命じられて所領は没収された。一方の吉良にはお咎めがなかった。

## 影響

事件は「忠臣蔵」となった。1748年に人形浄瑠璃として劇化されて以来、数え切れないほど語り直されてきた。忠義と法の相克をめぐる日本を代表する物語として、今なお道徳家と歴史家の議論の的である。
